靴職人@村山孝太郎
鍼灸師から靴職人へ。鍼灸学校在学中、鍼灸治療では対応できない骨格へのアプローチとして、インソールが有効だと知る。自分の治療の手助けになればと思い、インソールについて学ぶが、インソールの入れ物である靴の知識の必要性を強く感じ、卒業後、鍼灸師として働く傍ら靴作りを学び始める。
その頃は、休みの日はもちろん、仕事が終わった後も、寝る間も惜しんで靴を作った。作業場だけでなく、自宅の布団脇にまで道具を持ち込み、連日ほこりにまみれたまま眠った。靴作りのおもしろさ、奥深さにすっかり魅了され、靴職人として働くことを決意。
鍼灸師として働くことを辞めて手製靴メーカーに就職する。同社主催の靴学校にて講師を務める中で、ドイツの整形外科靴マイスターと知り合う。もともと靴を学び始めた目的である、インソール製作はもちろん、整形外科靴製作と、その設計思想を本場で学ぶチャンスだという思いを抑えられず、単身渡独。その人物の紹介を得てミュンヘンの整形外科靴工房に入る。すでに靴作りも出来、足に関する知識もあったが、同じ靴でも考え方が異なり、手順が異なるとこうもやりにくいものかと初めは苦労した。しかし、新たな技術を学ぶことはたまらない喜びであり、毎日未知の技術、知識との新鮮な出会いだった。
ここで学んだこと全てを活かして仕事をしたいという想いから、自分の店を持つことを決意し、2007年、東京、上野桜木に靴とインソールの店rutsch(ルッチュ)をオープン。
独立後、顧客の相談を受け、その悩みの原因について考えるとき、靴作りの知識もドイツで学んだ整形外科靴の知識もそのままでは役に立たないことに落胆。それだけでは、既存の靴店などで行われていたことの寄せ集めだったと気づく。実際に役に立ったのは、鍼灸師として身に着けた知識と、治療家の目線で全身を見ることだった。
そこで、足の問題と全身の状態のつながりを明確にしてから、靴作りやドイツで身につけた技術と知識を使って対処するとうまくいく。そして、自然とそれが自分のスタイルとなり、どこに、どう対処するのか、これまでなかった方法が色々とうまれた。
このことを広めて足に悩む人を減らしたいという思いから、足と靴の学校R.F Academyを設立。靴が人々の健康にもっと身近にかかわることが出来るような仕組みづくりを目指す。